紀伊半島の環境保と地域持続性ネットワーク | 紀伊・環境保全&持続性研究所 連絡先:kiikankyo@zc.ztv.ne.jp |
ホーム | メールマガジン | リンク集 | サイトマップ | 更新情報 | 研究所 |
秋田文化出版 83頁 2012年発刊
著者は、2004年に秋田県における松林の松枯れの拡がりに心を動かされ、最初の本「マツが枯れる」を書き、2008年には松林のこれからの姿を構想した「マツ枯れを越えて」を発刊してきた(本HPで書評)。これら2冊を読んで、日本海側の松林は冬の強い北西の季節風による砂の移動を抑えるための防砂林であることがよく分かり、マツ枯れの脅威に対する今後の海岸林の在りようについても読者にイメージが提示されてきた。
その後、著者は仙台市に転居した時に、仙台平野の海岸沿いの松林が秋田県の防砂林としての海岸林とは異なる姿をしていることに気付いた。そして、著者は、仙台平野の海岸沿いの松林は伊達政宗の時代頃から造られ始め、頻発する津波の被害を軽減することを強く意識して造られたことを調べ、このことについて東日本大震災前に閖上中学の生徒に話していたことが書かれている。それから間もなく、2011年3月11日の東日本大震災に襲われることになるが、仙台平野における津波被害が忘れられていた時期に、よく津波対策としての海岸林の造営に気付き、生徒に教えていたと感服する気持ちを禁じ得ない。
一方では、貞観の大津波が、仙台平野の高台にある多賀城周辺まで押し寄せたという記録が古文書にあり、また、伊達政宗が城を津波の来ない仙台平野の高台に築くなど、津波に対する怖れが昔には強くあったにも関わらず、現代においては、原子力技術を統御すべき東京電力が歴史的記述や科学的証拠を無視し、津波対策を怠り、原発事故を起こしてしまったことは、重ね重ね残念である。
著者らは、東日本大震災後に、津波被災地を見て回り、松林が大津波で根こそぎ倒され流されてしまった所、小高い丘で根が深く張り松が生き残っていた所、何もかも流されたが広葉樹林が残っていた所など、詳細に植生の状況を見て回り、それらを貴重な記録として本書に残し、また、今後の海岸林の再生のあり方についても、マツとその間に生えた広葉樹を成長させ混交林の形にすることを提案するなど、著者の海岸林再生への熱意がヒシヒシと伝わってくる。
1冊目の「マツが枯れる」からの、あるいは、マツとカシワの関係に興味を持ってからの著者の息の長い海岸林への関心と思い、更には、今回の大津波の影響と今後の海岸林のあり方にまで思いを馳せた一連の著作は、大きなうねりとなって、必ずや今後の海岸林造成に生かされると思われる。最近、朝日新聞が、日本海岸林学会や林野庁が今後の海岸林は広葉樹種とクロマツの混交林方式でいくことを今年になって提言したと報じていたが、それらは著者がこれまで書いてきた内容と軌を同じくするものであり、著者の長年の思いがこれから遂げられていくのではないかと思われる。
東日本大震災が起きて1年、著者のこれまでのマツに関する長い思索の経緯に思いを馳せ、同時に、生々しい大震災の記憶をよみがえらせつつ本書を読むと、胸がつまる思いで、一気に読み進んでしまう。これは、著者が海岸防災林の在り方を問い続けてきた熱い思いに、一読者として共感するからであろうか。
(MM/2012年10月29日)